好奇心を解き放て

◎人は新し物好き

 Eスポーツがアジア大会のデモンストレーション競技となる。ゲームのやり過ぎはダメ、と言われていたのに選手は一日十数時間没頭するらしい。一昔前はTVばかり見ていてはダメ、一億総白痴化と言われたものだが、今はTV離れという。変われば変わるものだ。蓋し人の興味の的は次々と移っていくのだろう。江戸時代、芝居は風俗を乱すからダメ、と興行が制限されていた。

◎執政を遣わし芝居解禁

 それまで名古屋には芝居の常打小屋がなく、芝居地や興行期間も制限されていた。尾張家中の芝居見物は享保八年から禁止されていた。それを宗春は緩和どころか一気に規制を撤廃し、若者には、一度は見るように、と薦めさえしたのだった。宗春代の出来事を複数の者が書き足した「遊女濃安都」から書き出す。

「芝居の入口に、刀差・冠物にて見物無用と札打ち置き候所、五月朔日に、御側同心頭成瀬豊前守殿上意を蒙り、芝居芝居の右札、御自身直に指図にて取られ…」

 芝居小屋の前に「刀差しや編笠など被り物の者は見物禁止」と書かれた制札を五月一日に側同心頭の成瀬大膳が上意によって自身が出向いて札を取りさらせた、というのだ。『新修名古屋市史』は「大脇差を差した武士を芝居見物に行かせた」とするが、これは「遊女濃安都」の以下の宗春が言ったとされる部分からの解釈と思われる。

「役人どもへ仰せ付けられ、札御引かせ遊ばされ候へども、それにては諸士見物苦しからずの趣、立ちがたき候に付き、大脇差遣られ候」

 つまり、小役人に札を引かせたのでは、(小者だけでなく)士分の者も芝居を見物して良いという趣旨が伝わりにくいだろうから、宗春の最も大きい懐刀(ふところがたな=大脇差)の成瀬大膳を直々に行かせたのだ、という意味と解すれば遊女濃安都の記述と符合する。

 前にも引いた「月堂見聞集」にはさらに詳しい様子が書かれている。

「成瀬大膳は(中略)殿様仰せに、所々宮寺に刀脇差の札外聞悪しき候、取り申すべく候の御事ゆえ、年寄衆へ此儀尋ねなしに、馬に乗り大勢の家来召し連れ、所々宮寺へ札を取りに廻り申され候」

 執政の大膳が宗春の直命を受けて尾張の重職に相談することなく、馬で家来を引き連れて神社や寺の芝居地の札を取って廻った。

 執政による制札の撤去とは何とも分かりやすく迅速な規制撤廃方針の表明ではないか。驚きを以て噂は広がり、宗春の目論見をはるかに超えて京までしっかり情報が伝わったということになる。

 成瀬大膳は、宗春失脚の折には、潔く執政を辞したようだ。(ブログ「宗春を追い落とした家臣たち」参照)

◎大名初のマニフェスト「温知政要」

 宗春は思い付きで芝居を解禁したわけではない。名古屋入りを前にした三月に記したマニフェスト「温知政要」に既にあった。

写真(「温知政要」河村秀根本、名古屋市鶴舞図書館)で見えている序文の二行は

「古より国を治め民を安ん

ずるの道は仁に止ること也とぞ」

 訳すまでもなく仁政を行うことの表明である。序文の最後にはこれが「誓約の証本」であると明記しているから、禁止事項を列記する法度ではなく自らを戒めるマニフェストと言えよう。見返しに大きく赤く「慈」と記したのは太陽のように家臣、領民を慈しむ決意を込め、最後の「忍」は辛いことは独り月のように耐え忍ぶ決意を込めた、と続く条にある。

 「温知政要」の二十一の条目の要旨は以下のとおり。なお、原本には数字はない。

一、大切にするのは「慈」「忍」の二文字。慈しみで陽の光のように下々まで照らし、辛いことは一人で心の内に耐え忍ぶことを誓う。

 ――心の内の悩みを表に出して近習にあたった兄達を反面教師とした。

二、慈悲は武勇や知謀に勝る。

 ――武勇の信長、知謀の秀吉の後に幕府を開き今日まで代を重ねている家康の慈悲の心の優越を例に説く。

三、政と刑罰について。政は誤ったら改めれば直るが、人への刑罰は取り返しがつかないことがあるからよくよく吟味すること。

 ――試行錯誤も厭わない思い切った施政開始の宣言である。大罪を犯人一人の所為(せい)とせず、その背景を吟味し政の誤りこそを正していかなければならないという決意の表れだ。

四、初心を忘れない。最初は賢君と称えられたいと努力するが、慣れてくると私欲に溺れてしまう。

 ――秦の始皇帝、唐の玄宗皇帝を例に戒めている。

五、学問の目的は、生まれつきの本心を失くさず心を素直にし、行いを良くすることである。学問を積むことによって邪まな知恵をつけ人を誹り馬鹿にするようになってはならない。

 ――人の上に立つ者は慈悲憐憫が第一の学問であると付言している。

六、適材適所。能力を発揮できない者は、役を申しつける上司の判断に責任がある。才気があり弁舌が巧みでも心がねじけている者は、国の害である。才能がない者でも律義であればそれだけで徳である。

 ――才より心が何より重要であるとする。

七、ひとりひとりの好みを尊重しよう。自分の好き嫌いを他人に強いてはいけない。喜び悲しみに共感する思いやりを持とう。

 ――多様であることに寛容であれ、とする。

八、多い法度は、人から気力をそぎ、心を狭めいじけさせてしまう。瑣末な法令は撤回し止めるべきだ。法度が少なければ背く者が減り心優しくなる。

 ――瑣末な法度を乱発した享保の改革への批判である。

九、倹約が過ぎてやたらと省略するばかりでは粗悪なものが増えて作り替えねばならず、結果として勿体ないことになる。あらゆるものには価値がある。要不要を厳しく吟味し過ぎると多様性が失われ品質も下がる。作る者への利益となるものならば高くても良いものを永く使おう。

 ――これもまた質素倹約への明らかな反対表明である。

十、善政への改革でも臣民の協力と盛り上りがなければ成し遂げられない。

 ――理屈だけでは社会は動かず、風潮が重要であることを心にとめる。独善の君子でなく、傾奇者と嗤われても大向うの評判を取るという決意である。

十一、自分の勤めるべきことさえ怠らなければ心が苦しむことはない。寒い目にあわなければ暖かさを知ることはない。

 ――子どもを甘やかして育てることに警鐘を鳴らす。

十二、神社仏閣での見世物や茶屋などを許可する。繁盛し人が集まり騒動が起こるからといって免許を停止するのは軽々しいことである。騒動の原因が侍の方にあれば侍をしっかり処罰する。そうすれば政が信頼され風俗もよくなる。

 ――身分を超えた楽しみの共有を目指す。

十三、万事に関心を持て。他の地域の者と逢ったら風俗・土地・山川のことを訊(たず)ね、そこでとれる物の善し悪しまで興味を持つようにせよ。

 ――産業の振興には情報が重要というわけである。

十四、すべての芸能や技芸は奥深いものである。自分が未熟であると謙虚であらねば上達は望めない。

 ――芸能者や職人が芸を極めようとする姿勢に対して尊敬の念を持つ。

十五、若者に異見する際は頭ごなしにしてはいけない。自らの若い時のことを思い出し相手の言い分も認めて言い聞かせること。

 ――若者に共感する姿勢が大切という。

十六、どんな善人も血気盛んな頃には一度や二度の過ちがあるものだ。様々な物事に興味を持つことや好色であるのは古今東西同じである。改めさえすれば過ちはすべて学問となる。

 ――前項同様、若者の再起を見守る寛容な視線は、過ちを繰り返した自らの半生の肯定でもある。

十七、倹約だからといって人を減らしては万一の備えとならない。火事などの急な折に少ない人数を防火や道具の避難など多方面に分散させては機能せず死傷者が多くなってしまう。どれだけ高価で尊い宝物でも軽輩一人の命には代えられないことを肝に銘じよ。

 ――人件費の抑制が人命を損なうことに繋がってはならない、と人命尊重を高らかに宣する。

十八、下々の者の思いを知らねばならない。実情を身をもって体験しないとどんな慈悲の心も届かない。但し、物の値段までも知るようになっては下々が痛み苦しむようになる。

 ――米の相場操縦に熱心な八木(はちぼく)将軍吉宗を暗に非難している。

十九、国を治める者は人や国に利益のあることでも急に行えば動揺が起き思うようにならないから時間をかけて行うべきだ。但し、人の痛みや難儀に関わることは速やかに改め直さねばならない。

 ――だから皆、長生きしなければならないという。

二十、改め、直すことがすべて良いことだとは限らない。諸人の意見に耳を傾けねばならない。

 ――改革への想いが強い自らへの戒めであろう。

二十一、上から下まで私欲を捨て正しい筋道に叶うよういつも考えを巡らせよ。譜代の家臣、代々の藩主に取り立てられた家臣にも平等に憐憫を加えなければならない。

 ――部屋住みの頃、自分への仕打ちに不満を持って恨みを持ったことをあさましい心として反省している。江戸へ来た年に死んだ朝倉や金森への詫び事にも聞こえる。

 いかがだろうか?私は初めて読んだときに目を疑ったものだ。啓蒙君主しかもリベラルな考えが横溢しているではないか。

◎夢を育む政治

 温知政要というタイトルを真正面から論じたものを私は未だ知らない。政要は政治の要点で間違いなかろう。温、知を使った四字熟語は温故知新が有名だが、それが上記の斬新な考えに相応しいとは思えない。

 私は、温をincubateのイメージ、「そのままを大切にして温める」ことだと考える。すなわち、人々がもっと知りたいと思う気持ちを大切に育むことではないだろうか。知らないことを聞きたい。新しいものを見たい。それを「見てはならん聞いてもならん」と法度で押さえこんでしまっては、心が塞いでしまい、人は育たない。機会を与えてこそ、その生まれ持った立派な本性が花開くのである。それは勉学だけに止まらない。珍しい味。香(かぐわ)しきもの。恋というものもしてみたい。生きる活力の元である種々の欲望、すなわち夢を育むのが宗春の政治の要点だったのではないだろうか。かくして宗春の治政を振り返る書は「夢のあと」の名があるのだろう。

 蓋し宗春はロマンチスト過ぎたのだろう。だが、その想いには、パンとサーカスで庶民の気を惹く小賢しい昨今の政治が失ってしまった根源的人間の精神の解放があったのではないだろうか