【なごや新地巡り】葛町

味噌煮込みうどん

◎創業が古いと何が良い?

 京都のお菓子井筒八ツ橋本舗が同業者の聖護院八ツ橋総本店の元禄創業に根拠がないという訴訟は、今月22日、第一回口頭弁論が行われたそうだ。ウェブサイトを見ると双方とも最初の方に歴史の項目が置かれている。どちらも本家本元という決定打を欠く中での争いになりそうだ。静かに京の銘菓として売っていれば良いのにと思うのは筆者が京都人ではないからだろう。あそこで生きるのは大変だ。

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【なごや新地巡り】西小路(2)伊勢音頭の謎

◎石碑に込めた想い

 昨年二月に小刀屋藤左衛門こと木全湛水の終焉の地である篠島を訪れた際、島の人に訊いても、島内に在ると聞いていた湛水の歌碑はとうとう見つからなかった。きっとどこかの木の下に人目を避けてひっそりとあるのだろう。その帰り、師崎の岬の先端でSKE48の「羽豆岬」の碑を見た。探していたわけではない目に飛び込んできたのだ。豆の形(ハート型?)で開けた岬の先端に建立されていた。地域密着・地域貢献がSKEの活動のテーマだという。喧伝される噂より、一人一人、リアリティが大切という姿勢は、蓋し人気者づくりの原点だろう。ならば地域おこしに使おうという地元の商工会の思いも解らないではない。アイドルと石碑というミスマッチを狙ったのだろうか。

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【なごや新地巡り】西小路(1)芝居のある卍交差点

◎六角形の錣(しころ)屋根

宗春の許可によって開発された新地は三つあった。それを順にご紹介したい。

残された絵図は少ない。以前のブログ「赤色に……」で紹介した享元絵巻にも新地が描かれている。名古屋市博物館が精彩画像で紹介している。

http://www.museum.city.nagoya.jp/collection/fine_portrait/lineup/new_screen3.html

西小路は左上部。現在の松原小学校~松原公園~東輪寺の西側に当たる。

そこを拡大してみると……

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名古屋が踊る(2/2)

◎盆踊りが中断

 かくして盆踊りが始まった。

「町々踊、古今稀なる賑わい、衣装は様々見事なること也」(「遊女濃安都」)

 あろうことか三日目の十五日の朝、江戸から訃報が届いた。宗春の五女八百姫が去る十二日に二歳で早世したのだった。因みに五月には三女の八千姫が六歳で亡くなっている。城下には触れが廻り、当面十七日までは町中踊りは停止となった。「もう一日あったのに!」衣装を新調した町人らは、不完全燃焼だったろう。単なる中断でなく突然の訃報だったから意気消沈の度合いは大きかったに違いない。

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名古屋が踊る(1/2)

◎名古屋が踊る

名古屋の夏の風物詩となった「どまつり」(にっぽんど真ん中祭り)は、ウェブサイトによれば高知の「よさこい」にあやかったそうである。どうやら、昔日に名古屋で開催された一大ダンスコンペティションではないらしい。

今から290年ほど前、名古屋で史上空前の大規模な盆踊りが行われた。同時代の記録である「月堂見聞集」によれば名古屋城下175カ所!日を改めたダンスコンペティションは28時間ぶっ続け……。

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赤色に込めた心

◎襤褸は着てても心の錦

昨日の朝方、行方不明の二歳児発見の報には、子どもをしっかりと抱いて歩く、赤のねじり鉢巻きのおじさんの後姿があった。夜のニュース。家に上がるよう勧められても「ボランティアで来ていますから」ときっぱり断った救助者。ボランティアの鑑のような振舞いの頭にはやはり赤のねじり鉢巻き。今日の「ビビット」のインタビューでほころびのあるザックの事を訊かれ、尾畠さん「まだ、新しい。たった38年です。(笑)日本は資源が少ないが、知恵がある」と即応された。かっこいい。物質主義への痛快な一撃。その頭にはやはり赤のねじり鉢巻き。無償の人助けの心意気はどんな花よりきれいだぜ!

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好奇心を解き放て

◎人は新し物好き

 Eスポーツがアジア大会のデモンストレーション競技となる。ゲームのやり過ぎはダメ、と言われていたのに選手は一日十数時間没頭するらしい。一昔前はTVばかり見ていてはダメ、一億総白痴化と言われたものだが、今はTV離れという。変われば変わるものだ。蓋し人の興味の的は次々と移っていくのだろう。江戸時代、芝居は風俗を乱すからダメ、と興行が制限されていた。

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殺人と謀反の噂

◎宗春、女中殺しの場

 前に宗春は人命最優先と書いたが、少し宗春を齧ったことのある人からは、「本当にそうなの?女中を刺し殺したとか、軍備を整えて大規模な軍事演習をやろうとしたと聞いたことがあるよ」との指摘があるかもしれない。小説や学術的な書物にも史料批判無しに引用されるからこのような間違いが起こる。後世の雑本の記事はネタとしてかくいう筆者も使っているが、宗春の本質に反する事については看過できないので釘を刺して置きたい。

 まず、女中殺しの出典は「趨庭雑話」だ。

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犠牲は無用

◎千金の宝物も人命には替えらえない

宗春の著したマニフェスト「温知政要」で火事への備えについて書かれた条がある。

 火災の際にすぐに集まることができる人数が意外に少ないことを念頭にして、

「多からぬ人数を方々へわけて、火も防がせ、道具の支配も致させ、いろいろのことに使ひては、いずれの方の間も合わず、死傷の者多くできるよりほかあるまじ。たとひ千金をのべたる物にても、かろき人間一人の命にはかへがたし、これらの類、皆々上たる者の勘弁なく不裁許より起る事なり。」

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鳥と宗春

◎高田祭

 平成三十年五月二十日、養老町の高田祭に行った。宗春と縁のある軕(やま:車篇に山)の本楽が行われるのだ。すでに巡行は始まっていたが、程なく目当ての軕に追いついた。道の両側にはすでに屋台が軒を連ねて仕込みにかかっており、軕が差し掛かると長い庇をひょいと跳ね上げる。怒号が飛び交う殺気立った雰囲気ではなく、綱持つ引手、楫(かじ)棒に体を預ける楫取り、羽織の町衆も余裕をもって毎年繰り返される祭りの光景を楽しんでいるように見受けられた。

 現在、高田祭りで巡行する三輌の軕は岐阜県の重要有形民俗文化財に指定されている。お目当ての林和靖軕は全国で高田祭りだけに残るからくり人形で、宗春の人となりを知る上で特に重要だと私は見ている。

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