敢えて正室として迎えず 謎の美女阿薫

阿薫和歌集

◎部屋住みは辛いよ

 尾張藩主の弟たちが最初に迎える妻は側室と相場は決まっている。なぜなら当主に万一のことがあれば御三家当主に相応しい正室を迎えなければならないからだ。宗春の兄の継友は藩主となってから摂家の近衛家の姫を迎えた。吉宗も紀州藩主となってから伏見宮の女王を正室に迎えている。紀州家は二代藩主光貞の正室も同じく伏見宮の女王だ。一方、尾張家三代の吉通の正室は摂家の九条家だった。御三家の序列では尾張が上なのに、正室の出自は逆転しているのだ。

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星野織部と藤堂見好

◎小姓から五千石の年寄に

 星野織部といえばと徳川宗春の寵臣としてあまりに有名、と思っていたが、現時点でwikipediaのページすらない。まずは、『稿本藩士名寄』を元に経歴を記す。

星野則昔  長之助 常四郎 此面 軍之右衛門 仁左衛門 藤馬 弥右衛門 司馬 織部 夢夕

星野七右衛門三男

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宗春の変革は、失敗だったのか?

◎新政権は前政権の否定から始める

 古今東西、変革を掲げた前政権は、新政権により再度変革されることとなる。アメリカ、韓国、マレーシア……変革は、極めてドラスティックである。政権側も常に、変革途上だから続けさせよ、と主張するから厄介この上ない。かくして政治家は異口同音に変革を訴える。蓋し変革は民主主義の宿命的キーワードだ。ただし、変革が常に良いものとは限らないから、我々は見極める力を養わなければならない。それを培うには自らの経験を含めた歴史に学ぶしかない。

 幕府と尾張家臣の信任を得て藩主となった宗勝もやはり前任者の否定から始めた。

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宗春を追い落とした家臣たち

柳営日次記

◎不都合な真実は幕府の日記にあった

 PKO活動で当該エリアでの戦闘の有無が国会で議論された際、自衛隊の日記を破棄したという耳を疑う言葉があった。結局はデータとして残っていたわけだが、国が行っている活動の記録がPKOやりました、だけで済むわけはない。現場の記録を軽視している。事件は現場で起こっているのだ。

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千両箱盗難事件

◎一顧だにされなかった事件

 尾張家市ケ谷上屋敷で起きた千両箱盗難という耳目を引く事件ながら、なぜかこれまでの研究、他の小説で全く触れられていない。このため一般にもほとんど知られていないので「宗春躍如」における記述すべてが創作だと思われないかと筆者は危惧する。史料からこの事件の存在を示し、事件の結果が尾張家中に及ぼした影響を考察する。

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一枚岩ではなかった吉宗政権

◎綱吉仁政の名残り

 「宗春と吉宗が対立した」という視点に固執しているとディテールが見えてこない。そもそも和を以て貴しとなす厩戸王以来の伝統なのか独裁者というものは日本には現れなかった、と書くと批判があるかもしれないが、少なくとも宗春も吉宗も独裁者ではなかったようだ。吉宗は、現実をしっかりと見据えたバランス感覚のある将軍であり、向き不向きを見て使者を選択していたように思える。

 宗春代の尾張家(藩邸以外も含む)への使者を下の表にまとめた。

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太宰春台コネクション

太宰春台と宗春

◎奇を好む儒者

 太宰春台は荻生徂徠の門下の博覧強記の儒学者である。厳しく子弟の礼を求め、大名の子弟にも同様に謹厳であった。その説くところは明快至極。「今の世では金銀を手に入れる計をなすことが急務であり、それには商人のように売買することが一番近道である。領主が金を出して国の土産や貨物を全部買い取って他国で売るのが良い」と明らかに重商主義的な経済思想へ進展=転換している。商人の真似をするな、などとは言わないのだ。

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入墨か、半剃りか

◎入墨は極道。タトゥーはおしゃれ。

 オリンピックを機に銭湯の「入墨者お断り」を見直そうという。筆者が銭湯を利用していた京都では倶利迦羅紋紋のおじさんを時々見たものだが、恐怖を感じることはなかった。それが集団になると威圧感も出てくるだろうが、入墨者はマイナリティだった。谷崎潤一郎の書いた張りのある女の白い肌の刺青は想像の中で美しいが、実際に男風呂で見たものの多くは輪郭がぼけて猫か虎かわからなくなって垂れた肉の上にへばり付いて萎びていた。

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【なごや新地巡り】富士見原

◎江戸時代のスーパー銭湯

 スーパー銭湯の発祥が名古屋という話を調べてみたら、名古屋コンベンションビューローのウェブサイトは「1985年の高岡市が一番古い」とあっさりとその座を譲っている。それ以前からヘルスセンターという複合温泉施設は存在しており、何をもってスーパー銭湯というかあいまいではある。銭湯を中心とした複合遊戯施設と定義すれば実は名古屋が日本で一番古い。それは享保十七(1732)年夏のこと。

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