祭りや町踊りを許し、自らも派手な姿で練り歩き、歌い、奏で、踊った稀代の尾張藩主徳川宗春。常人には理解不能な「奇異な」振舞いの数々は未だに謎が多い。
独自の花環三ツ葉葵紋を用い、生涯正室を迎えなかった。著した「温知政要」は家中、領民への法度ではなく、自戒の書――大名初のマニフェストだ。
法令の多きは国の恥。罪人が生まれるのは施政者の所為だ、と治世を通じて一人も死刑執行を許さなかった。
最後に尾張六十五万石を賭して守った一分は何だったのか?本気で仁政を目指した「奇異な」御三家・徳川宗春の見果てぬ夢とは?
*歴史小説「宗春躍如」の参考文献、登場人物を固定ページで、
新しい宗春像の根拠となった史料を随時ブログで挙げていきます。